精神・感覚を砥ぎ澄ませ


書道とは、その精神・感覚を磨くものである(本当か?

私は、中学生半ばで書道に通うのをやめた。単に
「土曜日は遊びたい」という思いがあったのと、
「既に極めた」と言う自負からである。もちろん、
私の技術は大人の書道家からみれば子供のお遊びである。
きっとそうに違いない。

本音を言うと、極めたわけではなく、先に進まなくなったので
「投げた」が正解であろう。そう、何にでも言えることだが
腕が上がっているというのが評価されると嬉しいものであり、
またそれがあるから楽しいと思えるのである。

しかし、昇級以外にも楽しいことはたくさんある教室だった。
言ってしまえば、近所のおばさんの家なので特別に
習いごとをしている、という自覚もあまりなかった。
生徒も近所の友達ばかりだ。

まず、何かの日にはパーティをする。クリスマスに丸のまま
のケーキをぺろっと食べたのは兄上だった。
雛祭りにはあられが出るし、正月は冬休み恒例の「書き初め」
をし、それが終わるとお雑煮が出る。もちろん成人式の日
にはぜんざいがでる。食べものばかりだが、私の性格上
いたしかたない。

次ぎに、やはり集まっているのが仲の良い友達なので
遊びの計画で実に盛り上がる。今の子供達はしても
せいぜい家庭用ゲーム機で何をするか、であろう。
実際、10数年前と比べると走りまわって
遊べるスペースというのは極端に少ないと思う。
その頃は「空き地」という広場も結構あったし、山という
絶好の遊び場へも行けた。今は隙間なく家が立ち、
山は「危険」と言うことでかなり面倒くさい柵が張ってある。
もちろん、柵は昔からあったが乗り越えるのは簡単だった。
つけ加えて「崩れる可能性」から木々が取り除かれて
コンクリー トが一面を覆い、遊ぶために柵を
乗り越えるほどの魅力がない。

何だかんだ言ってもそこで交わされる何でもない、
ばかばかしい会話が楽しかった。

今でも筆を持つと、その時を思い出しつつ
ベタ塗りをする。いや、文字を書くこともあるが
当時のような生き生きした結果にはならない。
それは恐らく、記憶している知識で手先で
ごまかしているからに違いない。
素直な気持ちで自然に体で筆を滑らせる、
そんな自分にもう一度出会いたいものである。

さて、どの辺りが書道を語っているのか不明なまま
この文章は終わりを迎える。迂闊にもここまで読んで
しまった貴方は忍耐力があります。

最終成績、毛筆認定7段(中学生以下の部)、硬筆2段。
硬筆は、書道をやめてから変な癖がついてしまったので、
もはや当時のレベルですら書けない。


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